7/7(月)脳がないから、産まれても生きられない。

妊娠14週。いつも通り10:30に産婦人科へ。

血圧正常、体重900㌘増加。
よし。まだ1㌔もいっていない。

この日からお腹の上からのエコーに。

「次からUSB持って来たら赤ちゃんの映像とってあげられるからね。」
よし。絶対持ってこよう。


エコー始まる。


お。ピコピコ心臓動いてる!

ふぅー。一安心。

無言。
無言。
無言。

あれ?


7/7(月)理由なんてない。【夫】

「大事な話があるから、電話に出られるようにしておいてね。」と、妻のはなちゃんからLINEが入った。
昼休み。丁度、店内でチキンクリスプの包み紙を開けるところだった。

「そうかあ、本当にだめだったのか。」
心の中で深くため息をついた。

確かに、はなちゃんは病院に行く前から気にしていた。
「もうちょっとお腹大きくなってもいいころなのに。ちゃんと育っているか心配。」
1か月くらい前から、何度かそう話していた。

でも、不安になるのは心配性のはなちゃんにはよくあること。
正直あまり気にしてなかった。
正確には、気にしないようにしていた。


7/8(火)そうたろう、空に叫ぶ。

はんちゃんと一緒に病院へ行く日。

そうたろうは、今日は私とはんちゃん二人に保育園へ送ってもらえる事にルンルン気味。

9時過ぎてから産婦人科へ電話。
11時までに来てください。

時間が決まっただけでドキドキする。

家を出るまで、とりあえずテレビを見て過ごしていても、常に緊張感が抜けない。

ついに時間。

産婦人科へ。
いつもより混み気味な分、普通の妊婦さんだらけであまりキョロキョロ見れない。

普通に、やっぱり、
いいなー。
という目で見てしまう。

7/8(火)「きっと、それも正しい」【夫】

もともと僕たち夫婦はいわゆる「授かり婚」だ。
しかし、交際時も結婚を前提、妊娠が発覚する直前にも結婚式場に見積もりをもらっていたので、「不意な授かり婚」では決してなかった。


2008年1月に交際をスタート。
2008年11月に結婚。
2009年5月に長男の誕生。
今回のことは初産から5年と2か月後のことだった。


この期間、二人目をずっと授かることができなかった、という訳ではなかった。
長男への愛しさや、固まりつつあるライフスタイルに満足して、「振り出し感」に踏み切れず、先延ばしにし続けていた。
そして、今年になってやっと夫婦で「兄弟を作ろう」と決意し、授かることができた子どもだった。


7/9(水)「やっぱり、会いたい」

この日は、はんちゃん会社へ出社。

ひろみが休みだから、母と3人でランチへ行った。


明日からの入院の予定を二人に説明しながら、普通の妊婦でいられるのも今日で最後なんだなーなんて考えたりした。

入院に必要なパンツをUNIQLOで買ったりと買い物へ。

夜、忘れ物のないように荷造り。
荷物だけ見るとまるで旅行みたいだねと。
実家にお泊まりのそうたの荷物もぬかりなく。

そうたは2日も私と離れるなんて人生初だから、夜寝る時も、
「今日ではなと最後の日なんだね。」
とセンチメンタルになっていた。

7/9(水)100点満点の答え。【夫】

3日目。今日は会社に出社。早退、有休、出社、有休、有休、週末。
今週は最初で最後の通常出勤だ。


会社に向かう車に乗りんだとたん、ガクッとシフトチェンジをしたような錯覚が起きた。
まさにシフトが替わったのだろう。
「妻を支える夫」から「一人の男」に戻ったのだと思う。
無気力、倦怠感。
重い。
何度か「つらい」と呟いた。
初日の帰宅前に「妻を支える」と切り替える前の気持ちに利子をつけて返されたようだ。


7/10(木)「痛いのか悲しいのか、よくわからない涙が止まらなかった。」

ついに来た。
この日が。

心の準備が現実に追いついてない。
全然。
全く。

今日処置して、明日には産んで、そうしたら体の中が空っぽになる。

病院に行かないといけないのは分かっているけど、すごく行きたくない。

朝、布団でそうたろうが泣いた。
「今日ではなとお別れなんだね。」


7/11(金)出産、対面。「妖精」に会った。

朝、血圧と熱を測りに来た看護師さんに、陣痛はどこで耐えるのかを聞いた。

「陣痛室を使ってる人がいたら、隣の部屋で他の妊婦さんの声聞くのはツライよね?そうしたら病室になるかなー。」

まさに、自分が心配してる事だった。

隣の部屋から、陣痛に耐える妊婦さんの声、今の状況の私は聞きたくない。

だから、看護師さんの配慮に泣けてしまった。

泣いてたら看護師さんが背中さすってくれて、それがまた泣けて。


8:30頃加藤さんが来た。

今日の流れの説明。

さっそく加藤さんに、
「やっぱり赤ちゃんに会いたいです。」

と言ってみた。



7/11(金)必ず、この世に呼び戻すから【夫】

カーテンを閉め忘れたおかげで、5時半に目が覚めてしまった。

台風が直撃した入院初日から一夜明け、こんな日に限って素晴らしく良い天気だ。


ついに、はなちゃんが出産する。

ついに、赤ちゃんと会うことができる。

ついに、赤ちゃんとお別れする。




午前9時、陣痛室へ。「懐かしいな」と思う。



5年前、そうたろうを出産する時には、「拷問部屋」かと思った場所だ。

狭い部屋に閉じ込められて、何時間も妻の「断末魔の叫び」を聞き続けた場所。

夕食が出てきた時には「冗談じゃない」とまで思ったものだ。

あれから5年。あの時ほど身もだえることもないけど、違う意味で「拷問部屋」というのは変わらない。



エピローグ

5年前も、今年も、はなちゃんに言っていた。
「子どもを産むからには、どんな子でも受け入れる覚悟を持たなければいけない。」

今は活動していないが、20代にバンド活動をしていた。
約10年前。もしかしたら、この時から、今日のことを覚悟していたのかも知れない。
趣旨は少し違うが、えぐられるような曲を書いていた。
最後に、この機会に聞いてほしい。



7/12(土)退院。でも、時間がたてばたつほど喪失感が膨らんでいく。

8:45に診察をして、次の診察の予約をとってそのまま退院。

荷物をまとめて、部屋を出る時、全てが終わってしまったことに寂しさを感じた。

結局、退院するまでも1度も新生児室に並ぶ赤ちゃんを見ることができなかった。

赤ちゃんを見たいなという気持ちはあったけど、見て自分が何か思ったらやだなと思って見る事ができなかった。




病院を出て、スターバックスで一息つくことに。

時間がたてばたつほど喪失感が膨らんでいく。


7/14(月)「あー空っぽなんだーって。」

そうたろうも保育園、はんちゃんも仕事。

そんな状況が久しぶりすぎてなのか、この日はやけに喪失感の大きい日だった。

家にいても、一応テレビをつけるけど、ボーーーッと。
頭の中ではずっとこの1週間の出来事がグルグルしてて、喪失感がムクムクと膨らんでいく。

トイレへ行って血が出ては、
あー空っぽなんだー。

子宮の薬、母乳の薬、飲むたびに、
あー終わったんだー。

今までニオイに敏感だったつわり。
どこにいても、何を嗅いでも、何も気持ち悪いと感じない。
あーもう赤ちゃんいないんだー。

私、このままうつ病になるのかな?
と心配になる程、喪失感に襲われる。


7/15(火)涙のランドセルは背負ってるけど、それでもなんか整理がついた。

この1週間の自分に起きた出来事を細かく文章にする事。

完成。

そうしたら、なんとなく心の整理ができた。

細かーーーく、その時思ったことを全部書いた。

順を追って書いていったら、勝手に整理ができた。

やっと受け入れれたというか。

7/17(木)「赤ちゃんいつ戻ってくる?」

切ない。

今日お風呂上がりにそうたろうと体をふきながら、

「先生さ、赤ちゃんいつ戻ってくるって言ってた?」

と聞かれた。

赤ちゃんの話題をあれ以来そうたろうとはしていないのに、突然でドキッとした。

「いつなのかは、先生もわからないみたいだよ。」

「ふぅーーん。忘れもの取りに行っただけでしょ?」

「そうだよ。忘れものしちゃったから、お空に帰るね。って。」


7/19(土)私は、この事で何を学ぶべきだったのか。

最近よく考えることがある。

「すべてのことに、意味がある。」
とよく聞く。

じゃあ、
どうして、自分がこの経験をする運命だったのか。

我が子が自分の命を犠牲にしてまで、私に何を伝えたかったのか。

私は、この事で何を学ぶべきだったのか。

別に意味なんてないのかもしれない。

けど、どうしても何か答えを探そうとする自分がいる。


7/25(金)死胎火葬許可証

2週間ぶりに産婦人科へ。

子宮の診察と、母乳外来。

あれ以来の病院。
今日の診察自体、何をするわけでもないのに、何かイヤな気持ち。

壮絶な経験、その時の感情をフラッシュバックの様に思い出しそうでいやだな。

と思いながら。

まずは母乳外来。

おっぱいも張ったり、痛くない。
絞っても母乳もでない。

という事で、母乳を出さないようにする薬はもう終了。


感謝。

storys.jpへ投稿してからの反響の多さに驚いた。

たくさんの方の目にとまってくれたことが、すごく嬉しい。

1人でも、誰かの救いになりたいと思って、始めた事。

「考えさせられた。」
「子供を大切にしようと思った。」
「当たり前だと思ってたことへの感謝を思い出した。」

など、みんなの思いを聞いて、すごく、すごく、救われた。


自分の身に不幸がおこる。

はんちゃんも言ってたけど、
それはただ現実に起こった事なだけで、別に理由なんて何もないと思う。

それを意味のあるものに変えるかは自分次第だと言うことが今回よくわかった。


私の姉、えみは去年、子宮けい癌により子宮、卵巣を全摘出した。

なんで私が?

と、何度も何度も何度も考えたと思う。

抗がん剤治療。

全摘出手術。

抗がん剤、放射線治療。



長い長い治療期間の間、すごく辛かったと思う。

転移はしていないだろうか?

検査結果を聞く怖さ。

手術に対する不安。

術後の痛み。

抗がん剤、放射線治療の副作用との戦い。

術後の排尿障害。


退院後、ものすごく体力が落ちた。

買い物をするためのスーパーを一周もできないほど。

階段ひとつのぼるのも大変なほど。


看護師だった姉は、体力が戻りしだい、心を休めるまもなく、すぐ職場復帰した。

「私なら、患者さんの病気に対する、
不安、恐怖、痛み、苦しさ、
をわかってあげられる看護師になれる。」

と。

だから、えみは、「癌」を意味のあるものに変えられたと私は思う。

「意味」にしたかった。【夫】

もともと、このブログの元は、はなちゃんが気持ちの整理をつけるために、想いを忘れないために、はなちゃんの姉妹と私だけに限定公開していた別のブログだった。

私はそのブログを読みながら、「意味にしたい」と思った。

「悲しい過去」から昇華して、前向きに、「意味のある出来事」にしたい。
「空に忘れ物をとりに戻った」彼の命を紡ぎたい。

結果、「STORYS.JP」に投稿して、たくさんの反響や温かい言葉をいただき、Yahoo ! ニュースにも掲載いただけた。


たくさんの方にほんの一瞬でも、彼が「何か」を伝えることができている。
そして、はなちゃんが元気になっている。
それが嬉しい。


本当に、ありがとうございます。


そして、この「お腹の子は無脳症でした」を書き始めた時から、頭の中で鳴りやまない曲がある。


中島みゆきの「糸」の一節。


「こんな糸が なんになるの
心許なくて ふるえてた風の中


縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かの
傷をかばうかもしれない」


「織りなす布は いつか誰かを
暖めうるかもしれない」


「逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます」




「いのちの始まり。家族の始まり。」

お知らせ

さまざまな方の協力のもと、素晴らしい関連作品が生まれています。
ぜひ、併せてご覧ください。

STORYS.book創刊号「いのちの始まり。家族の始まり。」

この「お腹の子は無脳児でした」と、誌面限定のアフターストーリー「君のために出来ることが 僕らにあるかな」、著者(夫婦)インタビューが収録されています。

追記 2015年12月4日

「お腹の子は、無脳児でした。」最終話 ~妊娠498日の約束~
を、STORYS.JPで公開しました。


エピローグ掲載曲「水の精」がYOUTUBE音源になりました。
悲しいけれど、温かいメロディが心に残る楽曲です。

追記 2015年12月8日

次頁にて、英語版「お腹の子は、無脳児でした。」~葛藤と感動に包まれた5日間の記録~
掲載しました。

追記 2016年7月23日

はなちゃんがインスタグラムを開始しました。気軽に申請してみてください。




“Our baby was anencephaly.”- Records of 5 Days Wrapped with Conflicts and Impression -



“As I have something important to tell you,
make sure you can take a phone.”
My wife, Hana, texted me.

It was lunch time. I was about to open a wrapping of chicken crisp in the shop.
“Well then, that was true.” I deeply sighed in my heart.

 Indeed, Hana was worried before going to the hospital.
“The stomach should be a little bigger now.
I’m worried whether it has properly been raised.”
Since about 1 month ago, she told me like that several times.

 Yet, she gets anxiety easily
as she concerns about things too much.

Honestly, I didn’t care too much.
To be precise, it had been trying not to care.